多くの高校球児にとって、最後となる夏が今年も群馬に訪れた。白球にささげた汗と涙は、ゲームセットの一瞬に“結論”が出る。甲子園を夢に抱いた2年半を振り返るとき、彼らは何を思うのか。勝ち負けを超え、球児がたどり着いた「答え」に迫る
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◎努力結実 大勝に導く
努力はうそをつかなかった。右足首の骨折から復帰して初めての公式戦となった夏の大事な初戦。すねあてを着けた4番打者は先制の適時打を含む2打数2安打を記録し、コールド発進の原動力となった。
昨年10月から約8カ月間、不安を抱えながらもグラウンドに戻るため、足の回復に努めながら上半身を徹底的に鍛え直し、この一戦に備えてきた。
「けがをして初めて野球ができることが当たり前でないことを知った。他の人のアドバイスにも素直に耳を貸せるようになった」。試合後、大粒の汗をかきながら充実感あふれる表情を浮かべた。
小中学を通じて常に中心選手だった。高校でも昨夏の大会は2年生ながら主戦で3番を任された。
昨年の8月以降、右足に痛みを抱えた。9月の秋季大会は外野手に回ったものの、全4試合で4番を務めた。14打数5安打5打点とチームでただ一人、全試合で安打を放ち、8強入りの立役者となった。
しかし、代償は大きかった。足の痛みは日に日に増し、歩くことにも支障が出るようになった。最終的に三つの医療機関を受診して10月に右足首の疲労骨折と判明、11月に入院して手術を受けた。腰の骨を移植する可能性もあるけがで両親は心配したが、「手術をしない選択肢もあった。でも一日も早く治して夏の大会だけには間に合わせたかった」と振り返る。
退院から2週間ほどでグラウンドに顔を出した。思い切りプレーする仲間をうらやましく見つめた。完治しないまま春の大会は終わった。それでも上半身を鍛えるトレーニングやキャッチボールを地道に続けた。
本格的な練習ができるようになったのは今年6月上旬。最も長く共に汗をかいてきた3年生からは「時間はかかったが、ここから一緒に頑張ろう」と声を掛けられた。うれしかった。
復帰後初の練習試合では3打席目に相手投手の直球をフルスイング。打球は右翼手の頭を越え、自身初の本塁打となった。
渡辺賢監督は「一つのことをやり続ける力はチーム一。精神力が強く、4番起用に迷いはなかった」と全幅の信頼を置き、「勝負強い堀越が帰ってきて本当に良かった」と目を細めた。
もともとは別の伝統校への進学を考えていた。渡辺監督の熱心な誘いに加え、見学した高崎商大附の練習風景が心を捉えた。「1年生から3年生まで全員一丸となり、勝利に向かって野球に取り組んでいる」印象を持ち、今はそれを実感している。
生まれて初めての大きなけがによるブランクを乗り越えたが、「まだまだ完全燃焼していない。みんなと泥くさい野球を一戦でも多くやりたい」。迷惑を掛けてきた仲間との“熱い夏”はまだ終わらせない。(後藤岳)